Dobut

CARD A

 突然だが、先日母が死んだ。
 死因は交通事故による、全身強打と脳挫傷だった。その日母は、昼過ぎから男の車でドライブに出かけた。警察の説明によるとスピードを出し過ぎた車はカーブを曲がりきれず、ガードレールを突き破ったらしい。相手と一緒にそのままあの世にドライブインしてしまうとは。
 俺は学校で事故の知らせを受け、病院に駆けつけた。そして霊安室で変わり果てた母と対面したが、何故か涙一つ出なかった。
 申し遅れた。俺の名前はレオナルド=ラッセル。十三歳になる学生だ。
 レオナルドなんて、また大仰な名前で申し訳ない。俺が生まれた頃、母が好きだった俳優の名前らしい。そういう付け方をされても困る。そしてモナリザを描くような才能もない。これが俺の自己紹介の鉄板トーク。まあ、気軽にレオとでも呼んでほしい。

 男と遊び歩き、家にろくに居つかない母。飛び切り美人という訳ではないが、年齢の割にはスタイルも良く、それが武器となり男日照りにはならなかった。その時々、付き合っている男の金で生活をしていた。おかげで下の上くらいの生活は出来ていた。
 そんな母だったため、俺は誰が父なのかも分からない。世に言うシングルマザーというやつだ。しかし、こんなどうしようもない母でも一応は保護者で我が家の経済を支えていてくれていた。死んでしまったことで、俺は住むところがなくなってしまった。
 階段が傾いたアパートから追い出された時、手元に残った物は俺の日用品が詰まったナップザック一つと、母の形見の名刺入れだけ。
 仕事をしていない母がなぜ名刺入れなど持っているかというと、この中には歴代付き合ってきた男たちの名刺のコレクションがぎっしり納められている。俺はそれを知っていたので、借金の取り立て屋が寄って集って家財道具を持ち出す前に、この名刺入れをズボンのポケットにしまった。
「さてと、まずは誰から行くか」
 赤い革製の名刺入れの蓋を開けると、そこには軽く二十枚近い名刺が詰め込まれていた。
 俺は養護施設に入る関係で、この地区から離れることになってしまった。
――その前にちょっとやっておきたいことがあるんだよね。
 俺は養護施設の職員の迎えを撒いて、一人街に繰り出した。
 普段は足を踏み入れることもない、高層ビルディング街と高級住宅地。煌びやかに着飾る人々が行き交う。そこはスラム崩れで暮らす俺とは別世界で、一歩立ち入っただけでも息が詰まる。当たり前だがもう住まいがないので、夜はホームレスに混じって野宿をしなくてはいけない。そこまでしてでもやりたい事、ここではないと出来ない。
 それは――、自分の父親捜し。
 この名刺の中にもしかしたら、自分の父親がいるかもしれない。
 なぜ今かというと、養護施設入りしている間、名刺の持ち主が転職などをして所在不明になってしまうかもしれない。それに施設は十八歳までしかいられない。それから動き出しては、いろいろ遅いのだ。
 この名刺の持ち主の中には、大企業に勤めている者や名士も含まれていた。いったいうちの母はどこでこんな大物を見つけてくるのだろう?
 こういう優良な知り合いは、人脈として確保しておきたい。将来就職のコネになる。
 母から唯一受け継いで良かったと思える遺伝子は、処世術とこのずる賢い頭。上手く取り入り、あわよくば懐に入り込みたい。
 俺は名刺をトランプのように切ると、一番上のカードを引いた。
 
  +
 
 名刺の十数枚は順調に持ち主が判明した。幸いなことに、所在不明者は数人しかいなかった。まあその中にいたら、縁がなかったと諦めよう。俺はこれが最初で最後の父親捜しと決めていた。
 しかし、名刺が残り数枚の所で問題が起きる。何かしら問題が起きるであろうことは予想していたが、いささか己の考えの甘さを思い知る。

「いたいた、お前だな」
 裏路地で休憩をしていた時のことだ、複数人の男に声を掛けられた。その身形からこの地区の人間ではないのが分かった。どちらかと言えば俺側の人間。自分を誇示するような派手な服装をした男達だった。耳にズラリと並んだピアスに、人を威嚇するような言葉の書かれたTシャツ。首には鎖ほどの太さのあるネックレス。そして視線が定まらない者も。大方ギャング崩れだろう。
 俺は直感で判断し、荷物を抱えてその場を逃げようとした。
 しかし、間髪入れず金属バットが頭上擦れ擦れを掠める。ヒュンと空を切る音が、耳に残り生々しい。俺は自分の鼓動が飛び跳ねているのを自覚したが、冷静を装い言葉を紡ぐ。
「俺に何か用? 人違いじゃないの?」
「いやお前でいいんだよ。赤い髪のガキ! お前がこの辺りをウロウロするのに困っている人がいるんだよ」
――……ああ、そういうこと。
 母の髪は茶色に瞳の色はブルーだったが、俺の髪と瞳の色は、真っ赤だ。母方にこんな容姿の親戚はいないそうだ。普段は目立つ赤髪を野球帽で隠しているが、これは絶対父方の遺伝子だと思い、父を探す間隠さずにいた。それがまさか仇に出るとは。
「女物の名刺入れ持っているだろう、出しな」
 俺は男達に従って母の名刺入れを渡す。男の一人が名刺入れを奪い取ると中身を取り出し、ケースを地面に捨てる。そして名刺の束にライターで火をつけた。名刺は全て綺麗さっぱり燃え落ちた。
――背に腹はかえられない。
 訪ねた相手がこの連中を金で雇ったのだろう。俺の存在が邪魔なのか。もしかしたら父親が差し向けたのかもしれない。一瞬寒気がした。自分の子供かもしれない相手を処分したいと思うのかね。金持ちの考えは分からない。だがそんな感傷に浸っている場合ではない。何しろ逃げなければ。
「それでいいだろう、ここからはすぐ消えるからさ、見逃してくれよ」
 しかし、男達は下品な笑い声と奇声を発しながら、バットと金属パイプをフルスイングして準備運動をしている。
「悪いな、また舞い戻って来られると厄介だから、ちょっと痛めつけてこいと言われている」
――こいつらやべぇ、マジで逃げなきゃ。
 俺は持っていたバッグを目の前の男に投げつけると、近くにあったゴミバケツを足場に、近くの金網をよじ登る。
 しかし多勢に無勢だ。俺は着ているパーカーの後ろを掴まれると、アスファルトの地面に引きずり落とされた。その衝撃だけでも結構痛いのに、間髪入れずに金属バットで殴られる。頭を腕でガードして急所を隠すが、焼け石に水。子供相手にこうまで本気を出してくるとは。喧嘩はよくしていたが、こいつらは人を殺すのに躊躇がないとみた。殴られながらどこか冷静な自分に辟易とする。
――ここで終わりか、ちんけな人生だったな。
 せめて自分の存在をこの世に知らしめるような事をしてみたかったが……それもどうでもいい。抵抗すれば暴行が長く続くのが分かっていたので、痛みに息を殺す。
 最後に世界を見ておこうと思い、閉じていた瞼を持ちあげた。
 男たちの足の間から、地面と遠くの雑踏が見える。
 血が目に入ったのか、視界が赤い。俺の髪の色と同じ赤。そこに黒い影がぬっとあらわれた。その影は細く縦に長い。ゆっくりとこちらに近づいてきた。

――とうとう死神が迎えに来たか。

「ねぇ、あんた達いくらで雇われたの?」
 死神は、若い女の声でそう伝えてきた。
「なんだおめぇ! 痛い目にあいたくなかったら消えな」
 男たちの暴行の手が止まる。
 誰か知らないがこの隙に逃げ出そう。俺は男たちの目を盗んで飛び出したが、痛めつけられた身体が思うように動かず、足がもつれて死神と見間違えた女の前に転がり出た。そこには黒髪のダークスーツを着た若い女が佇んでいた。一瞬彼女と目が合った。それは善人というより、人を見下すような支配者側の瞳だった。彼女も向こう側の人間ということか。
「……ねぇ、幾らならその子を売ってくれるかしら? 百ドルくらい?」
――っ、人を商品みたいな言い方しやがって。
 親切にも助けてくれようとしているのかもしれないが、上から見下しているような言葉に気分が悪くなる。
「へっ、そんな額じゃこいつはやれないな」
 いったい俺の処分にいくら積まれたのだろう。どうせこんな奴らに頼むんだ、安く見積もられたに違いない。
「そ、いま手持ちがないから、これで我慢してちょうだい」
 女はそう言い、クラッチバッグから財布を取り出し、男たちに投げ渡した。男たちが投げつけられた財布の中身を確認すると、歓声が上がる。
「領収書はいらないわ。どうぞ好きに使って。そして私の前から消えてくれると嬉しいわ。さっき誰かが呼んでいた警察が、そろそろ着く頃だと思うから」
「姉さん、それはご親切に」
 行こうぜという声と、大人数が走り去る音がした。
――助かった、のか?
 女は自分の足元に転がる俺を見下ろす。
「災難だったわね、立てるかしら?」
 赤い爪が印象的な手が、目の前に差し伸べられたが、俺はそれを無視する。
 しかし、一人で立ち上がろうとすると、脳天を突き刺すような痛みが襲う。どうやら肋骨がやられているようだ。口の中が血なまぐさく、咳をしたらどうなるか分かっているので、必死に我慢する。
「……金持ちの道楽かよ、同情ならやめてくれ!」
 俺は口の中に粘つく血を、唾と一緒にアスファルトの上に吐き出し、声を絞り出す。
 身なりから金持ちなのが見て取れる。見たこともない綺麗なブランド物の靴は泥一つ付いておらずピカピカだ。そして何もしたこともないような白魚の手。押し付けられた善意に反吐が出る。
「……何を言っているの? 聞いたでしょ、貴方は私に買われたのよ」
「なっ」
――この女、本気で言っているのかよ。
「嫌なら、払った金額を返して貰おうかしら?」
 厚い唇が三日月型の笑みを描く。母のような大人の色気はないが、綺麗な唇だ。
「……い、いくらだよ」
「……三千ドル。私、現金をそれしか持ち合わせてなくて」
――三千ドルだって!? 馬鹿な、そんな大金を見知らぬ子供に払ったのかよ。
「面白い顔、金持ちの道楽と思っていただいて結構。私に何の打算もないわけじゃないから。……でどうするの? 払うの? 払わないの?」
「払えるわけがないだろう、そんな大金!」
 三千ドルあれば、俺達の地域じゃしばらく遊んで暮らせる。そんな金を子供の俺が易々と稼げるわけがない。
「そう思ったわ。なら体で返してもらうしかないわね。まあ、私に幼児趣味はないし、内臓を売ったりしないから安心なさい」
 さらりと怖い事を言う。この女一体何を企んでいるんだ。
 この女も名刺の男たち同様、いつでも切れる人間に汚い仕事でもやらせるつもりだろう。女の背後には、道路に止まる黒塗りの高級車が見える。その運転席には体格のいい男が座っていた。今の状態では逃げるのは難しい。この要求を飲むしかない。そして隙をみて逃げ出そう。
「私はエリザベス=リード、リズと呼んで頂戴レオナルド」
――んっ? ……おかしい。
 この女何故俺の名前を知っている。こちらは一言も名乗った覚えはない。
「お前、何で俺の名前を知っているんだ!」
 彼女は俺の質問に答えようとせず、声を出さないでとクスクス笑い出す。
 そして先程財布を取り出したクラッチバッグからハンカチを取り出すと、地面に膝をついて俺の顔につたう血を拭き取る。赤いフィルタがクリアになり、強い光を放つ青い瞳がこちらを見つめていた。
「あら、結構イケメンに育ったじゃない。ごめんなさい、あまりにも面白い状況になっているから、ちょっと遊んじゃった」
「どういうことだ?」
「……私ね、十数年ほど前、貴方のお母様にお世話になったのよ。その時赤ん坊だった貴方にも会っているのだけど、覚えているわけがないわよね」
「母さんがお前を?」
「私はお前じゃなくて、リズよ、リズ!」
 言い直せと言いたいらしい。
「……リズを?」
 エリザベスは、満足げだ。
「そう、そして貴方のお母様から、自分に何かあった時は息子を頼むと言われたの。良かった、これでやっと借りた恩が返せる」
 俺は目を白黒させているに違いない。あの母が人助けなどするのだろうか?
 十年前だとすると、この女性は俺くらいの年の子供だったはず、それを今まで覚えていて、実行に移すとは、裏にとんでもない事情が隠れている匂いがする。エリザベスは俺が言いたい事がわかったのか、ごめんなさい、今は詳しくは言えないのと言葉を濁す。その代わり。
「新聞でお母様の死亡事故の記事を見て、慌てて探したのよ……何て言っていいのか、御悔やみもうしあげるわ。それからレオナルド、よく頑張ったわね」
 エリザベスから今までの威圧的な態度が消え、母の死を悼む言葉と、俺への労いの言葉が続いた。
――っ……。
 俺は、その言葉を聞いて体の力がふっと抜けた。こんなにも力が入っていたことに気づいていなかった。
 母が死んでこの方、俺にこういう言葉を掛けてくれた人はいただろうか? 母が死んでも、家から追い出されても、殺されかけても、出なかった涙。しかし今、頬に温かい物が伝っているのが分かる。いやこれは痛みによる生理的な涙に違いない。決して彼女の言葉に、心打たれたわけではない。俺は心の中で言い訳をする。
 エリザベスは何も言わず、俺の血で赤く染まったハンカチを手に持たせてくれた。
「ありがとう」
 驚くほど素直に礼を述べることが出来た。この突然現れたエリザベス=リードは、第一印象は最悪だったが、そんなに悪い奴ではなさそうだ。俺は彼女に抱いた認識を改めようと思った。
「……あのレオナルド、感傷に浸っているところ本当に申し訳ないのだけど……あの財布に入っていた三千ドル、実はちょっと入用で銀行から下ろしてきたものだったのよ。……だから、その……怪我が治ったらでいいから、体で返してもらいたいんけど、文句ないわよね?」
「……え、はぁ?」
――前言撤回、この女、本当に大丈夫か?
 これが俺とエリザベスとの出会いだった。

go page top

inserted by FC2 system