花の中の花 5章

友達とご褒美


 フルーの意識が戻ったのは、それから半日後だった。目が覚めた時、ドクターが傍らにいた。
「眠り姫パートツー、目が覚めたかい?」
 ドクターは、フルーにブイサインをしてみせる。
「……ドクターおはようございます」
 フルーはぼんやりした意識の中で、ドクターに挨拶をする。見慣れたドクターの姿は安心する。
「今回は記憶が飛んでいないようだな」
 どうやらフルーの記憶喪失歴は前科一犯で止まったままのようだ。
「僕、どれくらい意識を失っていました?」
 気を失う前の記憶もしっかりある。あの一連の事件からどれくらい寝ていたのだろう。辺りを見回すとそこはよく知るシュラール診療所だということが分かった。
 飾り気もない室内にベッドが複数並んでいる。ここは入院施設の大部屋だ。部屋には大きな窓があり、シュラール医院の中庭が見える。中庭といっても、そこは物干し場だ。竿には、シーツや包帯が干されており、ゆらゆらと風にそよいでいる。平和な光景だ。
「もう昼過ぎだ」
 あの事件が未明だったとすると、半日ぐらい寝ていたようだ。
「そうですか」
 フルーはいつものように起き上がろうとしたが、全身に痛みが走りベッドの上でもんどり打つ。あまりの痛みに腹筋に力が入る。フルーは、痛みで半年前の自分を思い出した。いや、あの時より重症かもしれない。
「ふーふーふー、いったたた……」
「まったく、背中の打撲痕数箇所、筋肉も傷んでいる。あと左肩の脱臼、首の痣と傷。唯一の救いは、骨に異常がなかった事ぐらいか。よくもまあこれだけこさえたな。内臓に損傷があるかもしれんからしばらく入院だ。安静にしてなさい」
 ベッドを見下ろすドクターはとても厳しい顔をしている。
「すいません。お世話になります」
 痛みに目から薄っすら涙が出る。これでは迂闊に寝返りも打てない。
「花ちゃんは気にすることはないさ。ローレンとダニエルをこっぴどく叱っておいてやったからな」
 そうか、あの二人がドクターに怒られたのか。その光景は是非見てみたかったと思う。あの二人がどんな顔で怒られていたのだろうか。フルーは興味が沸いた。後ほどゆっくりドクターに聞くとしよう。
「それにしても、ローレンが血相変えてその格好をした花ちゃんを運び込んで来たときは流石にびっくりしたぞ」
 ドクターはフルーの枕元を指差した。そこには水色のジャンパースカートとブラウスが綺麗に畳まれて置かれていた。一週間苦楽を共にしてきた戦友がいた。もうこの服に袖を通すことがないことを心から祈りたい。フルーは今、女装用の服から、診療所の患者用寝巻きに着せ替えらていた。そうかクロードがここまで運んできてくれたのか。これで運ばれるのは二度目になる。
「また驚かせてしまいましたね。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、その衣装を着た花ちゃんを脱がせるのがちょっと楽しかったからいいさ」
 ドクターはそう言うとニヤニヤと笑う。
「もうドクター!……いっっ!」
 思わず大声を出したことで肩と背中に痛みが走り硬直する。
「よしよし元気そうだ。ところで面会人が来ているが会えるか?」
「面会?」
 ドクターは、病室の扉の方を指差した。そこには一人の金色の髪をした少女が佇んでいた。
「ジョゼ!」
 そう、一緒に人攫い一味に捕まっていた少女だ。彼女も診察所の寝巻きを着ている。ジョゼはドクターに手招きを受け、フルーのベッドの横にそろそろと歩み寄って来た。
「よかった。怪我はもう動いても大丈夫なの? お姉さんの容態はどうなの?」
 フルーはジョゼを質問攻めにする。
「うるさいな、人の事より自分の方を心配しろよ」
 相変わらずの悪態ぶりは健在のようだ。
「ごめんごめん」
 ジョゼは男達に蹴られていたが、自分より元気なようだ。
「オルガお姉ちゃんも他の女の人たちもみんな無事だよ。みんな治療を受けているよ」
「そう……よかった」
 フルーは本当に良かったと心底思った。そして、あそこにいた子達が全員無事ならこれくらいの傷、別にいいかと思えてきた。
「あんたは大丈夫なのかよ」
 フルーはドクターの方を見た。
「全治二、三週間ぐらいだな」
 ドクターはフルーの診断を下した。あれだけの大立ち回りをして、この程度で済んでよかったとしよう。
「だってさ……しばらくベッドの上でサボることにするよ」
「ダニエル姉ちゃんから全部聞いたよ」
「ダニエルから?」
 ダニエルは一体何をジョゼに話したのだろう。
「……あんたさ、男のくせに、女の格好して囮になったんだってな」
「実はそうなんだよね……うん」
 ジョゼはフルーを女性だと思っていたに違いない。ダニエルからその事実を聞いて、どう思ったのだろうか。
「あんた達、無茶苦茶だな」
 御尤も。フルーは苦笑いをするしかなかった。
「……あのさ、助けてくれてありがとうな」
 ジョゼは、顔をうつむかせ小さな声でお礼の言葉を述べた。
「どういたしまして」
「なあ、あんたの名前教えてくれよ」
「そうか言ってなかったね。僕の名前はフルールだよ。みんなはフルーて呼ぶよ」
「名前まで女みたいだな」
 子供は素直だ。しかしその苦情はクロードに言って貰いたい。
「よろしくな、フルー」
「改めて、よろしくジョゼ」
 フルーはジョゼに手を差し出した。
 ジョゼはフルーの手を掴む。小さな手がフルーの手の中に納まる。
 二人は、何がおかしいわけでもなかったが、くすくすと笑い合う。
 お互い風変わりな友達が出来てしまった。夏の終わりの昼下がりだった。
 あとから聞いた話だがジョゼは、姉の体調が回復するまで、ダニエルの紹介でロクサーヌの食堂で働く事になった。元の素行が悪いので、試用期間中ちゃんと働いたら、きちんと雇ってもらえると条件付きだ。
 そのダニエルが昨晩の後処理の仕事に忙殺され、ようやくフルーの元に駆けつけたのは、フルーが目覚めてからさらに半日後だった。病室に入りフルーの姿を見つけるなり、駆け寄り抱きついた。
「フルー!」
「ぎゃあっ!」
 フルーは起き上がって病室で遅めの夕飯を取っていたのだが、まだ痛む肩にダニエルが容赦なく抱きついてきたので、強烈な叫び声を上げた。
「ご、ごめんなさい!」
 そういうダニエルは、目に涙を一杯貯めていた。その瞳の下にくっきりと深いくまが浮いている。その疲れた表情をみて、痛いのは少し我慢しようと思った。だがまた抱きつかれたら困るので、彼女から少し距離を取る。
「ああ、でも良かった。自分が言い出した事だけど、もう生きた心地がしなかったわ」
「そ、そうですか……」
 そうだった。囮作戦を言い出したのはダニエル自身であった。酷い目に合ったのも全て彼女が言い出した事が発端だったことを思い出した。
 ダニエルより一足先に病室に見舞いにやってきたクロードは、フルーが目を覚まして病室で食事をしているのを確認すると、空いていた病室のベッドに倒れ込んだ。昨晩の徹夜と連日の張り込みが響いたのだろうか。今もすぐ横で静かな寝息を立てて寝ている。フルーは、こんな人前で無防備にしているクロードを見たことがなったので、正直びっくりした。しかし、かわいそうなので少しそのまま寝かせてあげようと、布団をかけてあげた。腑に落ちない点もあったが、フルーは沢山の人に心配されたのだと思った。
「そうだ、見てフルー! 特別ボーナスあるから許して頂戴!」
 ダニエルは封書に入った書類を取り出すと、フルーの前に広げてみせた。
「なにこれ……」
 フルーはダニエルから書類を受け取り、目を落とす。
 内容は難しい言葉が並び、最後の方に大きな文字で……
「貴殿を……特務官補佐役に任命する」
 と書かれて最後に赤い押し印がついていた。
「はいっ?」
「やっと受理されたか」
 今までベッドで寝ていたクロードが眠そうな顔付きで起き上がると、フルーから書類を奪い取り文章の中身を確認してから、フルーに再び書類を押し付ける。
「ということだ、よろしくな補佐。これで俺の仕事が楽になるぞ」
「ローレン、上層部がこれからもガンガン仕事入れるって言っていたわ」
「勘弁してくれよ」
 フルーはクロードとダニエルの顔を両方見比べる。ダニエルはフルーをニコニコ見ているし、クロードは特にいつもと同じだ。
 フルーは、信じられなかった。アルデゥイナに籍を置くならまだしも、役所の役職を得るなんて、身分不相応にもほどがある。
 ――そうだ、これは夢に違いない。そうだ僕はまた意識を失っているんだ。
 そんな事を考えていると、突然クロードが、じっとフルーの方に視線を向ける。
「何?」
 クロードは無言のままフルーに手を伸ばしてきた。
 そして、何を考えているのかフルーの柔らかい両頬を指で摘んで思いっきり横に引っ張った。
「痛ひゃい。あにするんだ」
 口を横に引かれているので、発する言葉の発音がおかしい。
「痛いか、じゃあ夢じゃないみたいだな」
「!」
 クロードはフルーの考えがお見通しだった。フルーは驚きのあまり目を見開く。
「そんなに驚くな。お前は、すぐ考えが顔に出るからな。早く治して帰って来いよ」
 頬から指を離すと、珍しく顔の表情を緩めて笑っている。
「夢じゃない?」
 フルーは自分の身に起きている現実を知り、書類を持つ手が震えはじめた。
「フルー、あと諸手続きは後日傷が治ってからでいいから、あとこれ入院している間に目を通して覚えてね」
 ダニエルが、新たな封筒から書類の束を取り出した。
「そんなに!」
「これ一部よ。また明日続きを持ってくるわ」
 どうやらフルーの入院生活は、静かに寝ていられるようなものにはならなそうだ。
「そんな〜」
 
 これがフルールという名になった少年が最初に紡いだお話。



つづく

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